坂口安吾「特攻隊に捧ぐ」
平井修一
咲く桜 風にまかせて 散りゆくも 己れの道ぞ 顧みはせじ(藤村勉二等飛行兵曹 享年19)
鹿児島県の知覧特攻平和会館には、日本の礎となって散華した特攻隊員の遺書や辞世の句が展示されており、涙を誘わないものはない。命を懸けて国に殉じたのである。彼らを含めた英霊に対して我々は最大の敬意と感謝を表すべきだろう。
坂口安吾の論考「特攻隊に捧ぐ」はある雑誌に1947(昭和22)年2月掲載予定だったが、GHQの検閲により「軍国主義的」であるとして削除された。以下に抄録する。
・・・・
数百万の血をささげたこの戦争に、我々の心を真に高めてくれるような本当の美談が少いということは、なんとしても切ないことだ。それは一に軍部の指導方針が、その根本に於て、たとえば「お母さん」と叫んで死ぬ兵隊に、是が非でも「天皇陛下万歳」と叫ばせようというような非人間的なものであるから、真に人間の魂に訴える美しい話が乏しいのは仕方がないことであろう。
けれども敗戦のあげくが、軍の積悪があばかれるのは当然として、戦争にからまる何事をも悪い方へ悪い方へと解釈するのは決して健全なことではない。
たとえば戦争中は勇躍護国の花と散った特攻隊員が、敗戦後は専ら「死にたくない」特攻隊員で、近頃では殉国の特攻隊員など一向にはやらなくなってしまったが、こう一方的にかたよるのは、いつの世にも排すべきで、自己自らを愚弄することにほかならない。
もとより死にたくないのは人の本能で、死にたい兵隊のあろう筈はないけれども、若者の胸に殉国の情熱というものが存在し、死にたくない本能と格闘しつつ、至情に散った尊厳を敬い愛す心を忘れてはならないだろう。
我々はこの戦争の中から積悪の泥沼をあばき天日にさらし干し乾して正体を見破り自省と又明日の建設の足場とすることが必要であるが、同時に、戦争の中から真実の花をさがして、ひそかに我が部屋をかざり、明日の日により美しい花をもとめ花咲かせる努力と希望を失ってはならないだろう。
私はだいたい、戦法としても特攻隊というものが好きであった。人は特攻隊を残酷だというが、残酷なのは戦争自体で、戦争となった以上はあらゆる智能方策を傾けて戦う以外に仕方がない。
特攻隊よりも遥にみじめに、あの平野、あの海辺、あのジャングルに、まるで泥人形のようにバタバタ死んだ何百万の兵隊があるのだ。戦争は呪うべし、憎むべし。再び犯すべからず。その戦争の中で、然し、特攻隊はともかく可憐な花であったと私は思う。
人の子を死へ馳りたてることは怖るべき罪悪であるが、これも戦争である以上は、死ぬるは同じ、やむを得ぬ。日本軍の作戦の幼稚さは言語同断で、工業力と作戦との結び方すら組織的に計画されてはおらず、有力なる新兵器もなく、ともかく最も独創的な新兵器といえば、それが特攻隊であった。特攻隊は兵隊ではなく、兵器である。工業力をおぎなうための最も簡便な工程の操縦器であり計器であった。
彼らは自ら爆弾となって敵艦にぶつかった。否、その大部分が途中に射ち落されてしまったであろうけれども、敵艦に突入したその何機かを彼等全部の栄誉ある姿と見てやりたい。
我々愚かな人間も、時にはかかる至高の姿に達し得るということ、それを必死に愛し、まもろうではないか。軍部の欺瞞とカラクリにあやつられた人形の姿であったとしても、死と必死に戦い、国にいのちをささげた苦悩と完結はなんで人形であるものか。
私は無償の行為というものを最高の人の姿と見るのであるが、日本流にはまぎれもなく例の滅私奉公で、戦争中は合言葉に至極簡単に言いすてていたが、こんなことが百万人の一人もできるものではないのである。他のためにいのちをすてる、戦争は凡人を駈って至極簡単に奇蹟を行わせた。
強要せられたる結果とは云え、凡人も亦かかる崇高な偉業を成就しうるということは、大きな希望ではないか。大いなる光ではないか。平和なる時代に於て、かかる人の子の至高の苦悩と情熱が花咲きうるという希望は日本を世界を明るくする。
私は戦争を最も呪う。だが、特攻隊を永遠に讃美する。その人間の懊悩苦悶とかくて国のため人のためにささげられたいのちに対して。
青年諸君よ、この戦争は馬鹿げた茶番にすぎず、そして戦争は永遠に呪うべきものであるが、かつて諸氏の胸に宿った「愛国殉国の情熱」が決して間違ったものではないことに最大の自信を持って欲しい。(青空文庫より転載)
国際政策コラム<よむ地球きる世界>No.156
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平成24年4月24日
日本にとって千載一遇のチャンス
インテリジェンス(情報・諜報)の観点から中国で進行中の権力闘争を見ると、指導部がほとんど機能麻痺している様子がよく分かる。
そこを見抜いて石原慎太郎都知事が、アメリカに行った上で、尖閣3島の都有地化をブチあげたのだとしたら満点に値する。偶然かもしれないが、、。
中国は外務省報道官が通常の記者会見で、拍子抜けするほど弱い非難を述べただけだった。
今月13日の北朝鮮のミサイル発射のあと、わずか3日で国連安保理が議長声明を出せたのも予想外だった。ちょうど3年前の同ミサイル発射の時は、中国が頑強に抵抗し、今回よりも弱い非難声明を出すのに8日かかった。
また北朝鮮は15日の軍事パレードで、新型の移動式長距離ミサイルを初披露したが、その16輪自走発射台は見るからに中国製同種車両にそっくりだった。
中国は常任理事国でありながら、安保理のミサイル関連禁輸を堂々と破っていたわけで、いくらなんでも公開は禁止というような条件を付けていたであろうと推測される。
それをアッケラカンと無視されたのは、中国側に弱みがあったからだろう。
次に韓国の報道だが、中朝国境を越えてきた脱北者を中国は従来、即座に追い返していたが、それをやめて受け入れているようだという。この変化は何か?
また韓国の違法漁業取締官を殺傷して逮捕された中国船長に対し、懲役30年の実刑と罰金が言い渡されたが、中国は韓国に特段の報復を加えていない。
尖閣沖の中国漁船による無法行為の時に、中国政府が日本に対して取った態度とは大違いだ。
こうした中国の異変は、アメリカに重要な機密を握られた「かもしれない」と恐れるからであろう。
現在進行中の権力闘争は、2月6日に、重慶市の公安局長兼務を外された王立軍・副市長が、こともあろうに米総領事館に逃げ込んだことから始まった。米国亡命を求めて断られ、1日後に総領事館を出て逮捕されたが、ありったけの国家機密を提供したはずという常識に立って、すべてが動き出した。
権力闘争としては天安門事件(1989年)以来の大事件と言われるが、インテリジェンス事件としては前代未聞で、たとえて言えば東西冷戦のさなかにKGB長官がモスクワの米大使館に亡命したような事態だ。
もちろん公安担当副市長(日本の副知事相当)の権限や情報量はずっと格下であるが、上司の薄煕来が市のトップであると同時に中国共産党の政治局員であって、その腹心として裏の事情を知り尽くしていたというところがミソである。
薄煕来は王立軍を使って独立王国のような権勢を振るい、今秋発足の習近平政権では政治局常務委員9人のひとりに昇格するのではないかと観測されていた。
もともと薄は習次期主席の先輩格であり、習と共に太子党(=親の七光り組)の大幹部だった。この勢力は江沢民・前国家主席がバックアップしている。
したがって薄・王の親分子分が何らかの重要利害で仲違いし、子分が米総領事館に逃げ込んだことで一気に事件が表面化した。3月には薄も失脚して妻共々逮捕され、彼の疑似王国は壊滅に追い込まれた。
事件は、表面的には薄一味の殺人や汚職、途方もない海外蓄財など、イラクのフセイン、リビアのカダフィなどを想起させるような官製報道で覆われている。
しかし実際には、江・習の前・次期主席一派と胡錦濤・現主席一派(党青年組織出身)の、2大政治勢力の正面衝突が始まったばかりという段階にある。
今後数年間、中国の政治家、官僚、軍人など要職にある者は、大幹部から下級幹部に至るまで、自己の保身を第一に考えて行動することになる。毛沢東以来、中国共産党はそうした激烈な権力闘争を何度も繰り返してきた。
林彪事件(1971年)のようにナンバー2が粛清されるのも珍しいことではないし、民衆の犠牲者は3千万人を超えるという推計もある。
前回の天安門事件のときは、まだ中国は経済力も軍事力も対外影響力を持っていなかった。今は様変わりしている。政治力と外交力が低下したのを軍事力でカバーしようとする勢力が、伸張してくることも十分あり得よう。
日本にとっては国家全体を立て直す好機である。米中の密かなインテリジェンス合戦をいかに有益に吸収するか、この機会を逃すと、もう後はないと認識すべきである。
(おおいそ・まさよし
特別リポート:中国で「第二の人生」歩む、日本の熟練技術者たち
ロイター
[東莞(中国広東省)/東京 23日 ロイター]
1980年代の日本企業の世界的な躍進を支えた日本人技術者が、中高年期になって経済が高成長する中国に渡り、「第二の人生」を歩むケースが目立ち始めている。
韓国サムスンが日本人技術者引き抜き加速、人材戦略弱い国内勢会田政行さん(59)は、30年にわたって東京の会社で金型製造を手掛けたベテラン技術者だ。
その後中国に渡り、50代のほとんどは「珠江デルタ」地域にある製造業の集積地、広東省東莞で過ごした。
東莞の工業地区の町並みや雰囲気は、東京や大阪のそれと大きく異なる。
辺りにはクラクション音が絶え間なく鳴り響き、化学薬品の臭いが立ち込める。
ほこりっぽい通りのあちこちで工事が行われており、物乞いする人の姿も多く見られる。
だが、会田さんをはじめ、日本企業の多くが定年とする60歳が間近に迫った人々にとっては、年金受給年齢に達するまでの数年間を全く無収入で過ごすか、中国本土や香港の企業で働くかという、単純な選択だ。
会田さんは、中国に来た理由をこう振り返る。「私の職業は日本では無くなりつつある。日本でモノづくりが行われなくなってきている。
30年金型(づくり)をやってきて、苦労して手に入れた技術を(次の世代に)伝えたかった」
20年間にわたって経済が停滞状態にある日本の技術者が中国に流出することは、「メード・イン・ジャパン」ブランドを築き上げた技術力がライバルの中国企業に流れてしまうことを意味する。
日本政府の統計によると、人口800万人余りの東莞市には現在、2800人の日本人が居住している。
経済産業省経済産業政策局の知的財産政策室の石塚康志室長は「日本側から見れば、新興国に日本が長年培った技術をフリーライド(ただ乗り)されている。これは当然問題」だと指摘した。
日本からの「頭脳流出」が初めて問題になったのは約20年前。サムスン電子<005930.KS>やLG電子<066570.KS>といった韓国企業が、日本の大手電機メーカーから多数の半導体や白物家電の技術者を引き抜いた時期だ。
こうした人的資源の流出も手伝って、韓国企業はその後、世界のトップメーカーに躍り出た。
対照的に、日本の電機大手は不振続きだ。テレビの主要メーカーのソニー<6758.T>、パナソニック<6752.T>、シャープ<6753.T>は、韓国勢との競争などを背景に、2011年度の損失額が計210億ドルに上ったとみられている。
<西を目指すメード・イン・ジャパンの技術者たち>
アナリストらは、中国で「第二の人生」を見出した日本人技術者の多くは、日本企業に即刻、致命的な打撃を与えるほどの先端技術を有しているわけではないとの見方を示す。
しかし、彼らの流出は高品質の製品を効率的に生産するノウハウを中国企業に与えることにつながり、長期的なインパクトは深刻なものになる恐れがあると警告する。
中国政府は国内企業による技術革新を奨励しているものの、専門家の間では暗記学習を重視した教育システムがその障害となっていると見る向きも多い。
このため、社内で人材を育成する代わりに、そうした資質を社外から「買う」ことで当座の解決を図る中国企業が多いという実態がある。
東京の経営コンサルティング会社、アーサー・D・リトル(ADL)ジャパンのアソシエート・ディレクター、川口盛之助氏は「(金型製造など)生産にかかわる技術は企業の長年の失敗や経験から得たもの」だと指摘する。
川口氏自身も日立<6501.T>で家電製品づくりを担当した経験を持つ元エンジニアだが、金型のほんのわずかな違いでさえも大量の欠陥商品を作り出す原因となり得るのだと説明。「(日本人)技術者の流出は当然、中国製の商品の質と生産性の向上につながる」と警鐘を鳴らした。
会田さんも「10年前に初めて中国に来たときは、モノは壊れなければ良しとされた。その頃からと比べるとかなり成長した」と、中国人技術者のレベルがこの10年間で向上したことを認めている。
それは最近の貿易統計でも一目瞭然だ。統計によれば、第1・四半期の中国の高付加価値機械・電子製品の輸出額は前年同期比9.1%増の2530億ドルで、伸び率は前年同期の7.6%から加速している。
中国の製造業へとなびく技術者の流出に歯止めを掛けるのは不可能かもしれない。
大手重機メーカーの三一重工<600031.SS>や自動車メーカーの吉利汽車
大手企業だけでなく、中国には本土全体で何千、何万もの中小企業が存在する。すべての企業が移住してきた技術者を雇い入れられるだけの資金力を持っているわけではないが、技術の輸入コストがかつてほど高くないことに一部の企業は気づき始めている。
供給があり余っていることがその一因だろう。日本の人口の10分の1近くを占める数百万人の「ベビーブーム」世代は定年を迎え始めており、その中には多くの技術者も含まれる。
金銭的理由だけではない。日本での定年を迎えた後も働き続けたいという思いから、多くの技術者が中国に移り住む誘いを受け入れている。
会田さんは中国企業の簡素な会議室で一服しながら、「日本にいた時より長時間働いているが、給料は日本より今は少ない」と打ち明けた。
金型技術者の岡富夫さんは、東莞にある台湾企業で働くため、1998年に松下電工(現パナソニック<6752.T>)の子会社を退職した。
岡さんは「家族全員が反対した。当時、松下電工という世間からすれば立派な会社に勤めていて、安定した収入もあった。妻は離婚するとまで言った」と当時を振り返った。
それでも「自分の運命の扉は自分で開けたかった。他人が敷いたレールの上の人生を歩むのが嫌だった」と言う。
<海を渡った技術者の胸の内>
中国の輸出ハブとして機能する広東省で第二のキャリアを始めるに当たり、何も問題がなかったわけではない。
日本の大半の都市ではありふれた快適さや利便性は、岡さんや会田さんが住む東莞郊外の工業地区ではめったにお目にかかれない。
公共輸送機関はバスだけ。ほとんどのタクシーは営業免許を持たずに走り回っており、外国人はぼったくり被害に遭いやすい。すりや空き巣は日常茶飯事だ。
ただ会田さんは「私は戦後の混乱が残る日本で育った。その頃の環境とさほど変わらない」と納得顔で話した。
東莞に住む日本人の多くは家族を国に残してきている。日本では決して高級とは言えないアパートに居を構え、空いた時間をゴルフや街中に点在する日本料理店での日本人同士の飲食に費やす。
掃除や洗濯をしてもらうため、そうした店で働くウエートレスをパートとして雇う日本人もいる。
また、日本人男性目当てに若いホステスを置いているカラオケクラブ(通称KTV)も数多く存在する。
ソファやカラオケセット、ビリヤード台に囲まれた薄暗いKTVラウンジに腰掛け、日本の焼酎をすすっていた日本人男性は自問する。「7時に仕事が終わってから友達と飲むかカラオケに来る以外、どうやって過ごせばいいのか」
傍らで仲間の技術者がタイトスカートをはいた若いホステスの腰に手を回し、日本のヒットソングを歌う中、この男性は「独りで家でDVDを見るのって寂しいですよ」とつぶやいた。
日本には、韓国へ渡る日本人エンジニアについてライバル国に技術を売り渡す「売国奴」などと呼び、批判する向きもいる。中国へ渡る技術者たちはそうしたそしりをさほど受けていないものの、中には技術者らの動機に疑問を投げ掛けるブログも存在する。
これについて岡さんは、大半の移住者が家族の生活を支えたいだけだと話す。「60で定年を迎えて、年金が出る63とか65までどうすればいいのか」
日本の抱える債務は10兆ドルと、経済規模の2倍に相当。政府は年金の受給開始年齢を60歳から徐々に引き上げざるを得ない状況に追い込まれており、定年後、一時的に収入のない状態に置かれるサラリーマンも
少なくない。
岡さんは「罪悪感というのはあまりない。罪悪感より、誰か声を掛けてくれた方に行くでしょう」と語った。
一方、日本企業は政府と同様、技能やテクノロジーの流出阻止に向けてできることはほとんどないと口をそろえる。
経団連産業技術本部の続橋聡本部長は「技術は上流から下流へ流れる」と指摘。「日本もそうやってアメリカなどから習得したとも言える」と話した。
会田さんは、製品に完璧さを求める日本の文化に多くの技術者が疲れ切ってしまったと言う。
「日本は過剰品質を求める。仕事がしたくなくなる」
会田さんの本音だ。
日本の国を見つめ直しましょう【人の心に灯をともす】より転載
【誇りを持てる教育を】�955
明治天皇の玄孫、竹田恒泰氏の心に響く言葉より…
私は中高生に講義する機会もあるのですが、「いまある国で一番古い国はどこか」と質問すると中国とかエジプトと答えるのですが、「いやいや、日本なんだよ」と言うと、「ええー!」と、驚くんです。
たったそれだけで日本人であることの誇りを掴(つか)むんです。
日本人が誇りに思うようなことを何一つ教えてこなかったので、みんな日本のことが好きじゃないんです。
国民がそうならば、官僚だって政治家だって同じですよね。
だから国家をなんとかして守ろうという意識が国民全体で低いのではないかと。
私は教育を変えない限り主体的な国家は実現できないと思っています。
アジアに親日国家ってたくさんありますよね。
カンボジアやミャンマー、台湾、それからウズベキスタン…。
ウズベキスタンはソ連崩壊の時に独立した国ですが、第二次世界大戦の時、2万5000人日本人が捕虜として現地に連行されました。
そのうち500人が強制労働で「ナボイ劇場」の建設に従事し、60名が落命しています。
そして、後にウズベキスタンで大地震があって建物という建物がすべて崩れた時、ナボイ劇場だけが残ったんです。
その技術力もさることながら、強制労働で絶対に手を抜かない日本人は凄いと。
それで、ウズベキスタンでは、子供に「日本人のような立派な大人になれ」と教育しているそうです。
独立し、いまの大統領になってから、ナボイ劇場に「この建物は図らずも連れてこられた日本の労働者たちがつくった」という趣旨の石版があります。
ウズベキスタンは「二重内陸国」といって、国境を二つ跨(また)がないと海がない、世界で二か国しかない国の一つです。
日本人はそんな辺境の地に連れられていって、立派な仕事を成し遂げた。
だからウズベキスタンの人たちはいまでも日本が好きなんです。
「逆境から復興へ」“櫻井よしこ&竹田恒泰”
『致知 2012年5月号』致知出版社
人は、誇りがなくなったとき、勇気が無くなり、卑屈(ひくつ)になる。
国を誇りに思う源泉は、自国の歴史であり、その国の英雄や偉人の話であり、神話である。
それが、長く続いていればいるほど、それだけで誇りを持つことができる。
日本は、自国に誇りを持たなくするような教育をして久しい。
それは、「自虐史観(じぎゃくしかん)」という、自国の歴史のマイナス部分をやたらと強調し、プラス部分を過小評価
国も人も同じだが、悪い面ばかりを強調し、いい面を過小評価したら、誰でもやる気がなくなる。
アメリカ合衆国のCIA公式サイトによると、「世界最古の独立国は日本」、とある。
Japan
1400年続く、世界最古の木造建築は、日本の法隆寺。
1430年続く、世界最古の企業は、日本の金剛組。
1300年続く、世界最古の宿泊施設は、日本の慶雲館。
1000年前に書かれた、世界最古の小説は、日本の源氏物語。
2000年以上続く、世界最古の国歌は、日本の「君が代」。
2670年続く、世界最古の独立国家、日本。
我々は、もっと日本に誇りを持ち、堂々と生きていきたい。
※過激派、福島大で暗躍 「反原発」で活動家養成、NPOで資金集め
東日本大震災の被災地で、過激派「革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)」が、勢力拡大に躍起になっている。公安当局は「震災で吸引力を増した反原発やボランティアを隠れみのに勢力を拡大しようとしている」とみて警戒を強めている。
4日、入学式が行われた福島大近くで、男が新入生に反原発集会への参加を呼びかけるビラをまいていた。
この男は2月中旬、福島大の学生食堂で行われた学生有志による原発に関する勉強会で、「原発をなくすには行き過ぎた資本主義を改善しないと」と力説していた人物だ。
机上のテキストは「共産党宣言」。プリントには「マルクス主義学生同盟中核派」と記載されていた。
男は東北大の学生で、福島大の質問に「自分は中核派だ」と答えたという。
公安関係者によると、勉強会の主催者はデモでの逮捕歴のある中核派全学連幹部で上智大の活動家だった。
参加した学生は「原発事故で興味を持っていったが、団体名は伏せられていた」と話す。
\勉強会の開始当初、テキストは「全原発を廃炉に」だったが、出版元は中核派の拠点とされる前進社。
公安関係者は「いわゆる『オルグ』。
受け入れやすいテーマから徐々に引き込む典型的な手口」と指摘。
「反原発機運を盛り上げる段階から活動家養成段階に入ったといえる」と分析する。福島大関係者によると、昨年末には別の福島大生が「中核派に入った」と周辺に漏らしている。
過激派が福島大で活動を始めたのは震災後で、福島大では約20年ぶり。
学生も大学側も蓄積が少なく、立ち入り禁止などの強硬手段に踏み込めずにいるという。
「オルグ」だけではない。前進社はホームページで子供用診療所の福島県内での建設を主張。
別の公安関係者によると、NPO関係者が呼びかけ人の建設推進団体の事務局には中核派活動家が入った。
公安関係者は「すでに自治体が診療しているのに不自然だ」として、NPOを巻き込んだ資金集めとの見方を強めている。
産経新聞
【正論】
チャイナ・ドリームが破れる時 比較文化史家 東京大学名誉教授・平川祐弘
2012.4.4
[正論]
米日中の栄枯盛衰について考えたい。
敗戦後10年、日本は依然として貧しく、「せめて戦前並みになればいいな」とパリで朝飯抜きの留学生は思っていた。祖国が普請中であることにずっと劣等感を覚えていたのである。
ただし、アジアで日本だけが産業化していることは各地の港に寄って渡欧したのでよくわかり、独立を守ってくれた明治の先人の努力に私は感謝した。
さらに10年後、大学助手となったとき、北米で就職した級友が「お前の月給はいくらだ」と尋ねた。
1ドル360円の頃で「100ドル」と言うと、「俺はその10倍だ」と言った。絶対的な隔絶が洋の東西の間にはあると思った。
≪米日中の栄枯盛衰の行方は≫
だが日本再建は進み、1977年、東大助教授の給料がオックスフォードのドンに追いついた。日出づる国の勢いは止まらない。
92年定年時の私は、かつての給料10倍の北米残留組より高額所得者になっていた。
米国が敗戦国のようで米国人が苛立(いらだ)ったのも無理はない。がバブルがはじけ、以後日本は振るわず精神も空洞化した。
では、日中関係も逆転するか。中国へ教えに行った天安門事件の直後、北京から1時間走ると田舎道に籾(もみ)が撒(ま)いてあり、通過する車に脱穀させていた。
そんな原始的な農村だから中国学生は日本に追いつけないと思っていた。来日した人は次々と日本で就職した。
それが近年、学位を取り損ね中国へ戻った人も、自国の経済発展で大変な自信回復だ。昨今のベストセラーは劉明福『中国夢』(中国友誼出版)で、ポスト・アメリカ時代に中国が世界一をめざし、世界に中国時代を招来させるのがチャイナ・ドリームだという。
≪「日米もし戦はば」の中国版≫
著者は国防大学軍隊建設研究所所長の大佐だ。中国人がアヘン戦争以来の列強の侵略に反発し国防建設を夢見るのは理解できる。夢もほどほどなら結構だ。
だが人民中国誕生から63年、近隣諸国からの軍事的脅威はない。それなのに軍事大国を目指すとは何ごとか。
『中国夢』は中米大戦争を露骨に想定はしないが、それでも昭和初年に売れた平田晋策『日米もし戦はば』の中国版の趣(おもむ)きがある。
そもそも現役軍人がこんな世界戦略を売り物にしていいのか。中国政権内の開明派が軍部を統制しようにも抑えが利かず、中国の軍事大国化にもはや歯止めは利かないのではないか。
何しろ軍幹部が退職後軍事産業に天下りし、共産党幹部の子弟が有力証券会社を牛耳る昨今だ。
人治の国では私的な血縁関係が優先で、子弟集団の太子党はわが世の春である。
アイゼンハワーは大統領職を去るとき、米国における軍産複合体の肥大化を警戒し遺言としたが、その異常増殖が今の中国であるらしい。
大中華秩序復活の夢を劉明福は「黄福論」と称する。
公正な選挙一つ行えない強権支配の国でありながら、「歴史清白、道徳高尚」中国は世界大国中唯一の「没有原罪的国家」であるから天下に王道を広める資格があると主張している。
米国から見ればこのジョークは新しい「黄禍論」と映ずるだろう。何が無原罪なものか。毛沢東と共産党によって殺された人数は2600万と『建国以来歴次政治運動史実報告』にも出ている。
その中国が領海法を一方的に制定し、南シナ海の島嶼(とうしょ)、東シナ海の尖閣諸島は「核心的利益」だと言い出した。
ベトナム、フィリピン、インドネシアをはじめ日韓印も反発する。
「今の中国に友邦はあるか」と問うてみるがいい。ミャンマーももはや友邦ではない。彼らは答えに窮するが、北朝鮮の名はさすがに言いかねている。だがそれで黙りはすまい。
「米豪日が連携してアジア中小国とともに対中包囲網を敷くとは何ごとか」と居直って、怒るに相違ない。
≪日本に亡命して中華料理屋に?≫
「史ヲ以テ鑑(かがみ)ト為(な)ス」とはよくいったものだ。少年のころ日本帝国は歪(いびつ)に発展した。
軍部は満蒙は日本の生命線(核心的利益)だとして進出し、南シナ海で新南群島を武力を背に日本領とし、41年に仏印南部にも進駐した。
米英中蘭は、America、Britain、China、Dutchの頭文字を取ったABCD包囲網で日本帝国を取り囲んだ。
そんな戦前について「日本こそ被害者だ、包囲した方が悪い」と言い立てる疑似愛国者は日本にもいた。
今の北京にもそれと同種の愛国者は多い。
しかし人民中国の有力者は口でこそ自国の正義を主張するが、陰では保身を計ってしたたかだ。
バブルがはじけ国内外に大混乱が生ずれば、一党支配はもはや正当化もできまい。
そんな未来を必至と見て賢明な共産党幹部や富裕層は宝石を買い、子弟を海外に送り、国外に預金、外国に親類を拵(こしら)え、万一に備えている。
軍の近代化だけが進み政治の近代化の進まぬ歪な大中華帝国の夢が実現しても大変だが、夢が破れても大変だ。
「その時どうする」と聞いたら「日本に亡命して中華料理屋を開く」と真顔で答えた。
その昔西ドイツが中共政権を認めたときの、台湾元外交官がボンで中華飯屋を開くという噂話が思い出された。
(ひらかわ すけひろ)
転載・福島のうそ…続き
この雰囲気が2011年3月11日に壊れた。
日本がこれまでに遭遇したことのない大事故が起きてからだ。
14時46分に日本をこれまで最大規模の地震が襲った。
マグニチュード9だった。
しかし、地震は太平洋沖で始まったその後のホラーの引き金に過ぎなかった。
時速数百キロという激しい波が津波となって日本の東部沿岸を襲った。
津波は場所によっては30メートルの高さがあり町や村をのみこみ消滅させてしまった。
約2万人の人がこの津波で命を失った。
そして福島第一にも津波が押し寄せた。
ここの防波堤は6メートルしかなかった。
津波の警告を本気にせず処置を取らなかった東電や原発を監査する当局は警告を無視しただけでなく、立地場所すら変更していたのだ。
(菅前首相)
もともとは、原発は35mの高さに建てられる予定でした。
しかし標高10mの位置で掘削整地しそこに原発を建設したのです、低いところの方が冷却に必要な海水をくみ上げやすいという理由で。
東電がはっきり、この方が経済的に効率が高いと書いています。
巨大な津波が、地震で損傷を受けた福島第一を完全ノックアウトした。
まず電源が切れ、それから非常用発電機が津波で流されてしまった。
あまりに低い場所に置いてあったからである。
電気がなければ原子炉冷却はできない。
(菅前首相)
法律ではどの原発もオフサイトサンターを用意することが義務付けられています。
福島第一ではその電源センターが原発から5キロ離れたところにあります。
これは津波の後、1分と機能しなかった。
それは職員が地震があったために、そこにすぐたどりつけなかったからです。
それで電源は失われたままでした。
こうして送電に必要な器具はすべて作動しませんでした。
つまりオフサイトサンターは、本当の非常時になんの機能も果たさなかったということです。
法律では原発事故と地震が同時に起こるということすら想定していなかったのです。
菅直人はこの時、原発で起こりつつある非常事態について、ほとんど情報を得ていなかった。
首相である彼は、テレビの報道で初めて、福島第一で爆発があったことを知ることになる。
(菅前首相)
東電からは、その事故の報道があって1時間以上経ってもなにが原因でどういう爆発があったのかという説明が一切なかった。
あの状況では確かに詳しく究明することは難しかったのかもしれないがそれでも東電は状況を判断し、それを説明しなければいけなかったはずです。
しかし、それを彼らは充分に努力しませんでした。
2011年3月15日、災害から4日経ってもまだ東電と保安院は事故の危険を過小評価し続けていた。
しかし東電は菅首相に内密で会い、職員を福島第一から撤退させてもいいか打診した。
今撤退させなければ、全員死ぬことになる、というのだ。
(菅前首相)
それで私はまず東電の社長に来てもらい撤退はぜったい認められない、と伝えた。
誰もいなくなればメルトダウンが起きそうすれば莫大な量の放射能が大気に出ることになってしまう。
そうなってしまえば広大な土地が住めない状態になってしまいます。
菅は初めから東電を信用できず自分の目で確かめるためヘリコプターで視察した。
しかし首相である彼にも当時伝えられていなかったことはフクシマの3つの原子炉ですでにメルトダウンが起きていたということだ。
それも災害の起きた3月11日の夜にすでに。
(菅前首相)
東電の報告にも、東電を監査していた保安院の報告にも燃料棒が損傷しているとかメルトダウンに至ったなどということは一言も書かれていなかった。
3月15日には、そのような状況にはまだ至っていないという報告が私に上がっていました。
事故からほぼ1年が経った東京。
世界中であらゆる専門家が予想していたメルトダウンの事実を東電が認めるまでなぜ2ヶ月も要したのか、私たちは聞こうと思った。
自然災害が起きてからすぐにこの原発の大事故は起きていたのである。
(ハーノ記者)
「原子炉1号機、2号機そして3号機でメルトダウンになったことを、東電はいつ知ったのですか」
(東電・松本氏)
「私どもは目で見るわけにはいきませんが上がってきましたデータをもとに自体を推定し燃料棒が溶けおそらく圧力容器の底に溜まっているだろうという認識に達したのは5月の初めでした。」
膨大なデータに身を隠そうとする態度は今日も変わらない。
東電は、毎日行う記者会見でこれらのデータを見せながら、事態はコントロール下にあると言い続けている。
しかしこれらのデータの中には、本当に責任者たちはなにをしているのかわかっているか、疑いたくなるような情報がある。
たとえばスポークスマンはついでのことのように放射能で汚染された冷却水が「消えてしまった」と説明した。
理由は、原発施設ではびこる雑草でホースが穴だらけになっているという。
(ハーノ記者)
「放射能で汚染された水を運ぶホースが雑草で穴が開くような材料でできているというのですか?」
(東電・松本氏)
「草地に配管するのは私たちも初めてのことですが
穴があくなどのことについては知見が不十分だったと思っています。」
しかし原発の廃墟をさらに危険にしているのは雑草だけではない。
私たちは富岡町に向かった。
ゴーストタウンだ。
原発廃墟の福島第一から7キロのところにある。
私たちはナカ氏に便乗した。
彼のような住民は、個人的なものをとりに行くためだけに短時間だけ帰ることが許されている。
彼は、地震に見舞われた状態のまま放り出された会社を見せてくれた。
今では放射能のため、ここに暮らすことはできない。
(ナカ氏)
この木造の建物はとても快適でした。
とても静かで、夏は涼しく、冬は暖かかった。
私たちは皆ここで幸せに暮らしていました。
80人の原発専門のエンジニアが彼のもとで働いており原発事故後も、事故をできるだけ早く収束しようと努力している。
ナカ氏と彼の社員は、原発廃墟で今本当になにが起きているのか知っている。
(ナカ氏)
私たちの最大の不安は、近い将来、廃墟の原発で働いてくれる専門家がいなくなってしまうことです。
あそこで働く者は誰でも、大量の放射能を浴びています。
どこから充分な数の専門家を集めればいいか、わかりません。
しかし、まだ被爆していない原発の専門家を集めなければ事故を収束するのは不可能だ。
例えこれから40年間、充分な専門家を集められたとしても日本も世界も変えてしまうことになるかもしれない一つの問題が残る
(ハーノ記者)
今原発は安全なのですか?
(ナカ氏)
そう東電と政府は言っていますが働いている職員はそんなことは思っていません。
とても危険な状態です。
私が一番心配しているのは4号機です。
この建物は地震でかなり損傷しているだけでなくこの4階にある使用済み燃料プールには約1300の使用済み燃料が冷却されています。
その上の階には新しい燃料棒が保管されていて非常に重い機械類が置いてあります。
なにもかもとても重いのです。
もう一度大地震が来れば建物は崩壊してしまうはずです。
そういうことになれば、また新たな臨界が起こるでしょう。
このような臨界が青空の下で起これば日本にとって致命的なものとなるだろう。
放射能はすぐに致死量に達し、原発サイトで働くことは不可能となる。
そうすれば高い確率で
第1、2、3、
東京で著名な地震学者の島村英紀氏に会った。
2月に東大地震研が地震予知を発表したがそれによれば75%の確率で4年以内に首都を直下型地震が襲うと予測されている。
(ハーノ記者)
このような地震があった場合に原発が壊滅して確率はどのくらいだとお考えですか?
(島村教授)
−はい、とても確率は高いです。
(ハーノ記者)
−どうしてですか?
(島村教授)
計測している地震揺れ速度が、これまでの予測よりずっと速まってきています。
私たちはここ数年千以上の特別測定器を配置して調査してきましたがそれで想像以上に地震波が強まり、速度も増していることがわかったのです。
これは日本の建築物にとって大変な意味を持つだけでなく原発にとっても重大な問題となることを島村氏は説明する。
(島村教授)
これが原発の設計計算です。
将来加速度300~450ガルの地震が来ることを想定しています。
そして高確率で発生しないだろう地震として600ガルまでを想定していますがこの大きさに耐えられる設計は原子炉の格納容器だけで原発のほかの構造はそれだけの耐震設計がされていないのです。
しかし私たちの調査では、最近の地震の加速度がなんと4000ガルまで達したことがわかっています。
想定されている値よりずっと高いのです。
(ハーノ記者)
電気会社は、それを知って増強をしなかったのですか?
(島村教授)
今のところ何もしていません、不十分であることは確かです。
これだけの地震に耐えられるだけの設計をしようなどというのはほとんど不可能でしょう。
ここは原発廃墟から60キロ離れた場所だ。
フクシマ災害対策本部では東電、保安院、福島県庁が共同で原発の地獄の炎を鎮火するための闘いの調整をはかっている。
私たちは東電の災害対策部責任者にインタビューした。
ことに彼に訊きたいのはどうやって今後これだけ損傷している原発を大地震から守るつもりなのか、ということだ。
ことに、危ぶまれている4号機について訊いた。
(東電・白井氏)
4号機の使用済み燃料プールには夥しい量の使用済み燃料が入っています。
これをすべて安全に保つためには、燃料プールの増強が必要です
燃料プールのある階の真下に、新しい梁をつけました。
(ハーノ記者)
原発はほとんど破壊したといってもいいわけですが
原発が健在だった1年前ですら大地震に耐えられなかった構造でどうやって次の地震に備えるつもりなのでしょうか?
(東電・白井氏)
我々は耐震調査を4号機に限らず全体で行いました。
その結果、問題ないという判断が出ています。
(ハーノ記者)
でも地震学者たちは4000ガルまでの地震加速度が測定されていてこれだけの地震に耐えられるだけの原発構造はないと言っています。
半壊状態のフクシマの原発の真下でそのような地震が来ても全壊することはないと、なぜ確信がもてるのですか?
(東電・白井氏)
その4000ガルという計算は別の調査ではないでしょうかそれに関しては、私は何とも言いかねます。
(ハーノ記者)
原発を日本で稼動させるだけの心構えが、東電にできているとお考えですか?
(東電・白井氏)
それは答えるのが難しいですね。
(ナカ氏)
これがやってきたことの結果です。
この結果を人類はちゃんと知るべきだと思います。
一緒に未来の政策をつくっていくことができるように
あなたの動画チャンネルに、このビデオを掲載してください。
あなたのブログに、書き起こし文を掲載してください、
日本中の人が目にするまで、拡散してください。
http://kingo999.blog.fc2.com/blog-entry-546.html
ドイツZDF
http://www.youtube.com/watch?v=mKPpLpam6P0&sns=em
ドイツZDFテレビ
2012/03/19
ドイツZDF
我々は放射能から身を守り、警察から外人と見破られないよう防護服を着こんだ。
汚染され、破壊した原発が立っているのは立ち入り禁止区域だ。
そこに連れて行ってくれることになっている男性と落ち合った。
なにが本当にそこで起きているか、彼に見せてもらうためだ。
ナカ・ユキテル氏は原子力分野のエンジニア会社の社長でもう何十年間も原発サイトに出向いて働いてきた。
フクシマでも、だ。
私たちは見破られず、無事チェックポイントを通過した。
作業員たちが作業を終え、原発から戻ってきたところだった。
3月11日に起こったことは、これから日本が遭遇するかもしれぬことの前兆に過ぎないのかもしれないことが次第にわかってきた。
そしてその危険を理解するには、過去を理解することが必要だ。
(タイトル)
(監督)
私たちは立ち入り禁止区域の中、事故の起きた原発から約7キロ離れたところにいる。
ナカ氏はここで生活をし
福島第一とフクシマノ第二の間を股にかけて仕事をしてきた。
ナカ氏と彼の部下は、何年も前から原発の安全性における重大な欠陥について注意を喚起してきた。
しかし、誰も耳を貸そうとしなかった。
(ナカ氏)
私の話を聞いてくれた人はほんのわずかな有識者だけでその人たちの言うことなど誰も本気にしません。
日本ではその影響力の強いグループを呼ぶ名前があります。
原子力ムラ、というのです。
彼らの哲学は、経済性優先です。
この原子力ムラは東電、政府、そして大学の学者たちでできています。
彼らが重要な決定をすべて下すのです。
私たちは東京で菅直人と独占インタビューした。
彼は事故当時首相で、第二次世界大戦以来初の危機に遭遇した日本をリードしなければならなかった。
彼は唖然とするような内容を次々に語った、たとえば
首相の彼にさえ事実を知らせなかったネットワークが存在することを。
マスメディアでは彼に対する嘘がばらまかれ彼は辞任に追い込まれた。
彼が原子力ムラに対抗しようとしたからである。
(菅前首相)
最大の問題点は、3月11日が起こるずっと前にしておかなければいけないものがあったのに、何もしなかったことです。
原発事故を起こした引き金は津波だったかもしれないが当然しておくべき対策をしなかったことが問題なのです。
この過失は責任者にあります。
つまり、必要であったことをしなかった、という責任です。
では原発事故の原因は地震と津波ではなかったのか?
原子力ムラの足跡を辿っていくと、嘘、仲間意識と犯罪的エネルギーの網の目に遭遇する。
調査は2つの大陸にまたがった。
まずカリフォルニアに飛んだ。
目的地はサン・フランシスコである。
私たちはある男性と話を聞く約束をしていた。
彼は長年原子炉のメンテナンスの仕事でフクシマにも何度も来ておりかなり深刻なミスや事故を東電が隠蔽するのに遭遇した。
フクシマの第1号原子炉は70年代初めにアメリカのジェネラルエレクトリック社が建設しそれ以来アメリカのエンジニアが点検を行ってきた。
そしてフクシマでは何度も問題があった。
(ハーノ記者)
東電は、点検後、なにをあなたに求めたのですか?
(スガオカ氏)
亀裂を発見した後、彼らが私に言いたかったことは簡単です。
つまり、黙れ、ですよ。
何も話すな、黙ってろ、というわけです。
問題があるなど許されない
日本の原発に問題など想定されていない
アメリカのエンジニア、ケイ・スガオカ氏も
それを変えようとすることは許されなかった。
(スガオカ氏)
1989年のことです、蒸気乾燥機でビデオ点検をしていてそこで今まで見たこともないほど大きい亀裂を発見しました。
スガオカ氏と同僚が発見したのは、それだけではない。
(スガオカ氏)
原子炉を点検している同僚の目がみるみる大きくなったと思うと彼がこう言いました
蒸気乾燥機の向きが反対に取り付けられているぞ、と。
もともとこの原発の中心部材には重大な欠陥があったのだ。
スガオカ氏は点検の主任だったので正しく点検を行い処理をする責任があったのだが彼の報告は、東電の気に入らなかった。
私たちは点検で亀裂を発見しましたが、東電は私たちにビデオでその部分を消すよう注文しました。
報告書も書くな、と言うのです。
私はサインしかさせてもらえませんでした。
私が報告書を書けば、180度反対に付けられている蒸気乾燥機のことも報告するに決まっていると知っていたからです。
(ハーノ記者)
では、嘘の文書を書くよう求めたわけですか?
(スガオカ氏)
そうです、彼らは我々に文書の改ざんを要求しました。
スガオカ氏は仕事を失うのを怖れて、10年間黙秘した。
GE社に解雇されて初めて彼は沈黙を破り日本の担当官庁に告発した。
ところが不思議なことに、告発後何年間もなにも起こらなかった。
日本の原発監督官庁はそれをもみ消そうとしたのだ。
2001年になってやっと、スガオカ氏は「同士」を見つけた。
それも日本のフクシマで、である。
18年間福島県知事を務めた佐藤栄佐久氏は当時の日本の与党、保守的な自民党所属だ。
佐藤氏は古典的政治家で
皇太子夫妻の旅に随行したこともある。
始めは彼も、原発は住民になんの危険ももたらさないと確信していた。
それから、その信頼をどんどん失っていった。
(佐藤前知事)
福島県の原発で働く情報提供者から約20通ファックスが届きその中にはスガオカ氏の告発も入っていました。
経産省は、その内部告発の内容を確かめずにこれら密告者の名を東電に明かしました。
それからわかったことは、私も初めは信じられませんでした。
東電は、報告書を改ざんしていたというのです。
それで私は新聞に記事を書きました。
そんなことをしていると、この先必ず大事故が起きる、と。
それでやっと官僚たちもなにもしないわけにはいかなくなり17基の原発が一時停止に追い込まれた。
調査委員会は、東電が何十年も前から重大な事故を隠蔽し安全点検報告でデータを改ざんしてきたことを明らかにした。
それどころか、フクシマでは30年も臨界事故を隠してきたという。
社長・幹部は辞任に追い込まれ、社員は懲戒を受けたが皆新しいポストをもらい、誰も起訴されなかった。
一番の責任者であった勝俣恒久氏は代表取締役に任命された。
彼らは佐藤氏に報告書の改ざんに対し謝罪したが佐藤氏は安心できず、原発がどんどん建設されることを懸念した。
そこで佐藤氏は日本の原発政策という「暗黙のルール」に違反してしまった。
2004年に復讐が始まった。
(佐藤前知事)
12月に不正な土地取引の疑いがあるという記事が新聞に載りました。
この記事を書いたのは本来は原発政策担当の記者でした。
この疑惑は、完全にでっち上げでした。
弟が逮捕され首相官邸担当の検察官が一時的に福島に送られて検事を務めていた。
彼の名はノリモトという名で遅かれ早かれ、お前の兄の知事を抹殺してやる、と弟に言ったそうです。
事態は更に進み、県庁で働く200人の職員に圧力がかかり始めました。
少し私の悪口を言うだけでいいから、と。
中には2、3人、圧力に耐え切れずに自殺をする者さえ出ました。
私の下で働いていたある部長は、いまだ意識不明のままです。
それで、同僚や友人を守るため、佐藤氏は辞任した。
裁判で彼の無罪は確定されるがしかし沈黙を破ろうとした「邪魔者」はこうして消された。
これが、日本の社会を牛耳る大きなグループの復讐だった。
そしてこれこそ、日本で原子力ムラと呼ばれるグループである。
(菅前首相)
ここ10〜20年の間、ことに原子力の危険を訴える人間に対するあらゆる形での圧力が非常に増えています。
大学の研究者が原発には危険が伴うなどとでも言おうものなら出世のチャンスは絶対に回ってきません。
政治家はあらゆる援助を電力会社などから受けています。
しかし、彼らが原発の危険性などを問題にすれば、そうした援助はすぐに受けられなくなります。
反対に、原発を推進すれば、多額の献金が入り込みます。
それは文化に関しても同じでスポーツやマスコミも含みます。
このように網の目が細かく張りめぐらされて原発に対する批判がまったくなされない環境が作り上げられてしまいました。
ですから原子力ムラというのは決して小さい領域ではなくて国全体にはびこる問題なのです。
誰もが、この原子力ムラに閉じ込められているのです。
東電から献金を受け取っている100人以上の議員に菅首相は立ち向かった。
その中には前の首相もいる。
やはり彼と同じ政党所属だ。
ネットワークは思う以上に大きい。
多くの官僚は定年退職すると、電事業関連の会社に再就職する。
1962年以来東電の副社長のポストは原発の監査を行うエネルギー庁のトップ官僚の指定席だ。
これを日本では天下り、と呼んでいる。
しかし反対の例もある。
東電副社長だった加納時男氏は当時与党だった自民党に入党し12年間、日本のエネルギー政策を担当しそれからまた東電に戻った。
このネットワークについて衆議院議員の河野太郎氏と話した。
河野氏の家族は代々政治家で彼の父も外相を務めた。
彼は、第二次世界大戦後日本を約60年間に渡り支配した自民党に所属している。
原発をあれだけ政策として推進してきたのは自民党である。
(河野議員)
誰も、日本で原発事故など起こるはずがない、と言い続けてきました。
だから、万が一のことがあったらどうすべきか、という準備も一切してこなかったのです。
それだけでなく、原発を立地する地方の行政にも危険に対する情報をなにひとつ与えてこなかった。
いつでも、お前たちはなにも心配しなくていい万が一のことなど起こるはずがないのだから、と。
彼らはずっとこの幻想をばらまき事実を歪曲してきたそして今やっと、すべて嘘だったことを認めざるを得なくなったのです。
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サメにかまれ「絶対帰る」励まし合い 奄美沖漁船 救助の乗組員
2012.3.26
「ようやく助かったと思ったのに、2人がいなくなって悔しい」−。鹿児島県・奄美大島沖で鹿児島市の喜入町漁協所属のはえ縄漁船「春日丸」が転覆した事故で、23日夜に救助された乗組員の村田勉さん(44)=鹿児島市=が25日、取材に応じ、第10管区海上保安本部(鹿児島)に救助された状況などを生々しく語った。
23日深夜、海上を漂流していた乗組員4人の救助に向かった定員5人のゴムボートには海上保安官3人が乗っていた。
村田さんによると、海保側は「定員オーバーなので2回に分けて救助する」と伝えたが、体力の限界を感じていた村田さんらは4人を一度に救助するよう頼み、海保側も応じたという。
ボートに乗る際、佐々木弘さん(46)=宮城県気仙沼市=は気を失った状態だった。
巡視船にボートを引き上げた時に大波を受け、前方にいた海上保安官1人を含む3人が投げ出され、佐々木さんと松山和則さん(46)=鹿児島県指宿市=がそのまま行方不明となったという。
村田さんは「もう少しで4人とも助かったのに悔しい。
ただ、海保はやれるだけのことはやってくれた」と目に涙を浮かべながら話した。
転覆の状況を「右舷に横波を受けて船が横倒しになり、5分もたたないうちに船が縦に沈んでいった」と振り返った。
夜になると、周囲に体長1メートルほどのサメが数匹現れ、4人は次々と足をかまれた。
村田さんも4カ所かまれ、スプーンで肉をえぐられたような傷ができた。
血が止まらずに次第に体力も失われる中、行方不明となった松山さんを中心に「絶対に帰るんだ」と励まし合ったという。
「海に神様いるのか…」 無事祈る仮設住宅 奄美大島沖の漁船転覆事故
2012.3.24
「春日丸」が転覆し6人が遭難したことについて対応を協議するため、漁協に入る関係者=24日午前、鹿児島市喜入町
鹿児島・奄美大島沖の漁船転覆事故で不明となった乗組員佐々木弘さん(46)は東日本大震災の被災地、宮城県気仙沼市に暮らす。
自宅は津波で全壊。現在居住している仮設住宅では24日、近所の人たちも佐々木さんの無事を祈っていた。
正午ごろ、佐々木さんの家族が仮設住宅を出て迎えの車に乗り込んだ。妻とみられる女性は報道陣の問い掛けに「落ち着いたら話します」とだけ答えた。「鹿児島に向かうのですか」との問い掛けには無言でうなずくだけだった。
仮設住宅があるのは気仙沼市郊外の運動公園内。同じ仮設住宅団地に住む主婦は「せっかく津波を生き延びたのだから、これ以上涙を流すことはあってほしくない。
こんなことが続くようでは、海に神様がいるのかと思ってしまう」と心配そうに話す。
鹿児島市の喜入町漁協によると、佐々木さんは約4年前から船を保有する春日水産で働いていた。成人した子供が1人いるという。
作家の大石英司さんのメルマガより…
波浪4メートルと言うと、部屋の天井より高い波が襲いかかってくるということですから、そんな中での救助活動は、助ける側も命懸けです。
ただ、戦場にせよ救命の現場にせよ、そこでは起こってしまったことが全てです。
この遭難事故は、1から10まであまりにもアンラッキーな要素が多過ぎた。
場所も、かごんまと沖縄の丁度中間で、どちらの救難本部からも一番遠いエリアだった。
ラフトが破れた件に関しては、隔壁構造にして、沈まないラフトを開発する必要があるでしょう(すでにあると思う)。
ただでさえ、疲労しきった溺者をボートに収容するのは難儀な作業です。
それを時化の中でやり抜くとなると、溺者の体力もまた奪うことになる。
溺者収容に関しても、何かアイディアを出して、器具を用いることで力を使わずに出来ないものか装備の研究が必要でしょう。
起こったことは取り返しが付かないけれど、二度と同じ結果を招かずに済むよう、叡智を出して、もちろん予算も出して、次の遭難事故に備えましょう。
*最初に駆けつけた巡視船は、つるぎ型巡視船の「かいもん」(奄美配属)だったとニュースにあります。
220トンという小型の巡視船で、不審船対応規格。
ウォータージェット推進でもある。ただ、トン数からして、たいしたサイズのボートは搭載できない。
恐らく、止まってしまったら、波は易々と舷側を越えたはずです。
化け物のような波の中で10管の隊員はよく頑張った。
※産経新聞に水源地の記事がある!数年前より指摘されている問題だが未だ放置状態である!昔の実話に外国人が日本の土地を手に入れた話があるが、取り戻した人物は歴史上の日本人であった!
外資による水源地の森林買収が相次いでいる問題で、規制を強めた昨年4月の森林法改正以降も、15の自治体(広域連合を含む)が国にさらなる規制を求める意見書を提出していたことが25日、林野庁への取材で分かった。
北海道では23日に水源地売買の取引監視を強化する条例が成立、埼玉県でも26日に同様の条例案が可決される見通しだ。
国の動きの鈍さをよそに、自己防衛する自治体が増えている。
法務省によると、土地売買契約に登記申請は義務づけられておらず、登記簿上の所有者が真の所有者と異なる場合もある。
北海道で成立した条例は、水源地周辺で土地を売買する場合、売り主が契約の3カ月前に道に届け出る「事前届け出制」とし、所有者や売買予定地の情報を把握するものだ。
事前に分かれば、自治体が外資の代わりに買い上げるなどの対抗策も可能になる。
ただ、それ以上の規制は難しい。民法上、日本の土地所有権は「世界一強い」ともいわれ、絶対・不可侵性が原則。
所有者は地下水をいくらでもくみ上げる権利があり、河川法に基づいて利用が制限される表流水と扱いが異なっている。
これまでに地下水取水を包括的に制限する国の法律はなく、2年前に自民党側の議員立法としてようやく規制法案が提出されたが、継続審議扱いのままで一向に前進していない。
林野庁によると、外資による森林地取得は平成18〜22年で北海道と山形、神奈川、長野、兵庫各県の40件約620ヘクタールに及ぶ。
ただ、この数字は氷山の一角にすぎない。
森林地の売買はそもそも1ヘクタール未満であれば届け出義務がなかった。
このため、国会は昨年4月、森林法を改正し、すべての所有権の移転について事後届け出を義務づけた。
だが、買収を未然に把握するための措置として不十分との意見書が15の自治体から出ている。
昨年12月に意見書を出した熊本市は「外資による森林買収が拡大し続けた場合、水源の100%を地下水でまかなっている市として不安」と規制を求めた。
また、水資源が豊富な長野県佐久市が昨年9月に提出した意見書は、「国民に必要な水まで国外に流出する可能性を秘めているとともに、日本固有の歴史的、伝統的な景観を保全する上で障害となる」と訴えた。
埼玉県内ではいまのところ、外資による水源地の買収は確認されていないが、各地で水源地買収問題が広がった昨年から対策を検討し始め、条例は26日に可決する見通しだ。
長野、山形、群馬の3県も条例づくりを検討している。
一方、市町村レベルで条例を制定した自治体の中には先駆的な例も。
北海道ニセコ町では昨年5月、水質保全が必要な保護区域内での開発を規制する「水道水源保護条例」と、過剰な取水を制限する「地下水保全条例」を制定。
2つの条例で規制の網をかぶせた。
町内の15の水源地のうち、2つがすでに外資所有になっていたことが条例のきっかけになった。
町の担当者は「水源地を整備したいときなど、外資にどうやって連絡を取ったらいいのか。水源地を自分たちで管理できなくなるのは死活問題」と話した。
水問題の専門家で国連に技術的な助言もしている吉村和(かず)就(なり)氏は、「省庁間の縦割り行政もあり、国による規制は遅々として進んでいない。
水は国民が直接に関与し、しかも国益。国土を外資から守るために一刻も早く法整備を進めるべきだ」と指摘している。
■■
大村
以下転載↓
大村純忠は、横瀬浦開港にあたって、港とその周囲2レグワ(半径
さらに、来航する商人に対する関税を
大村純忠は教会側にたって、キリシタンに反感を持つ仏教徒とを弾圧することまで行った。
このような動きは、日本にとってたいそう危険なものであった。
貿易の利益をえさにして、ポルトガル政府が日本支配をもくろみ始めたことを意味するからである。
1562年の時点で、わずかな土地ではあるが日本の領地の一部が、ゴアやマカオのようにポルトガルの統治下に置かれていた(日本の法の及ばない治外法権の土地とされた)ことになる。
半径10kmの半円の面積は、約157平方キロメートルになる。この面積は、現在のヨーロッパにある約60平方キロメートルのサンマリノより広く、約200平方キロメートルのリヒテンシュタインに近い。
織田信長が桶狭間の戦い(1560年)に勝って、天下とりに乗り出したのはこの2年前である。
大村家とイエズス会とが結びついたことをきっかけに、ポルトガル船の入港は、大村領と大村純忠の浸漬でキリシタン大名であった有馬晴信の領地にある口ノ津と志木に、ほぼ限定されるようになった。
大村領におけるポルトガル船の入港地は、横瀬浦か福田浦をへて元亀元年(1570年)に長崎に移った。
このあと(1579年)に、大村純忠は長崎一村と茂木を教会領とした。1590年前後の長崎の人口は5000人を超え、長崎とその周辺に1500人あまりのキリシタンがいたと伝えられる。
ポルトガルが大村家を手先にして日本侵略をもくろんでいたのは確かだろう。
しかし、長崎が教会領となってまもなく豊臣秀吉はの天下統一の動きが九州に及び(1587年)、九州平定を終えた秀吉によって長崎の教会領は没収された。
(PHP新書291「海外貿易から読む戦国時代」竹光誠著 ¥720 p.123から)
この本、結構楽しくて読んでおります。東シナ海から香港マカオその先まで、日本人が生き生きと動いて、我が物顔で活躍している時代風景を感じ取ることが出来ます。
ちなみに、樺太と千島列島、ちょうど鹿の角に挟まれたような地帯の海と島々で活躍する日本人は、猪谷六合男著「雪に生きる」や、初見一雄著「すこし前の話」に見ることが出来ます。
海洋国ニッポンの領土・領海は、遙か昔から、もっともっと広いのです。
信長や秀吉が、その流れをリセットしてくれました、
現代の織豊は何処に?もう株主総会などを待っている時間はなさそうです。
内にあっては領土売却を反故にし、外にあっては取り戻そう、ですね。
(酒井


by atom2010
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